2012年12月24日

続・『その儘使へる繪と實用圖案文字』の謎

前回の記事を載せてから、いつの間にやらもう10箇月あまり…本人も含めてもうすっかり忘れてしまっていた話で恐縮ですが、お約束したからには、ということで続きを。

2月の記事の最後にちらと書いた、別の版元から3年早く同名の本というのがこれ。
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十時柳江著『その儘使へる繪と實用圖案文字』(昭和2年4月25日 弘文社刊)です。

近代文藝社版の表紙は、用紙や箔押しの色は異なるものの、この本のデザインをそっくり踏襲したことが判ります。
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弘文社版はこの1冊しか見たことがないため、近代文藝社版のように色違いの表紙があるのかどうか、また外箱の意匠はどうだったのかは今のところ判っていません。

表紙のみならず、見返しの紙もだいぶ違います。
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シンプルな真黒の方が弘文社版。

扉の意匠は、近代文藝社版と較べると随分繊細な感じですね。手触りもより滑らかで、細かい縦縞模様が粋な感じです。
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ここでちょっと気になるのは著者名。一文字異なるのは前回取り上げましたが、近代文藝社版は活字、弘文社版は手描きです。無論、後者は著者ご自身がお描きになったものでしょう。

とすれば、手描きでは一度も現われない「柳紅」は実は改名ではなく只の誤りで、本当は「柳江」の方が正しいのではないかしらん。扉と奥付と2箇所も著作者のお名前を間違えるなんて、ちょっと信じられませんが…。

多色刷りの口絵は同じものですが、近代文藝社版は(扉もそうですが)硫酸紙が被せてあります。
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近代文藝社版の第1ページ目は便化された十二支ですが、弘文社版には「緒言に代へて」という序文が載せられています。
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「自然は限りなく美しい。 自然なるものの總ては眞とに美しい。 大なる眞理と權威を以つて迫つてくる私の魂はその美に觸れて燃ゑ上り、その愛に接してひれ伏す−。 おお……私の熱愛して止まないものは其れだ。 それは私の生命にとりて尊い泉だ、私の魂はその美のうちに永却に生きんとする祈願に飢へ渇く。 自然なるものは眞とに美しい。それより生れ出ずる人爲的美 それは圖案である。 斯るが故に、より良き完成に不斷の歩みを續ける私はもつともつと成長しなければならない。もつともつと製作に沒頭しなければならない。 私の仕事を愛する人々よ……。 私はおのゝきつゝも此の小さき出版を捧ぐ。  昭和二年冬の日 十時柳江」(改行を空白に置き換え・「迫」「尊」「祈」「飢」「渇」「成」「歩」も旧字)

発刊に臨まれる著者のお気持ちがよく顕れていると思います。何故、近代文藝社版ではこれを載せるのをやめてしまわれたのでしょうねぇ…。

近代文藝社版の11ページ目が弘文社版では1ページ目になっていて、その前の9ページに亙って載せられている図案文字がありません。
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恐らく版元を換えられたのに併せて描き下ろされたのでしょう。

ところで背を並べてみると、弘文社版には天地の飾り罫がなく、代わりに近代文藝社版では省略されてしまっている「その儘使へる」も書かれている、という違いがあるのが判ります。書体は同じもののようですが、どうしてこういう変更がなされたのか意図は測りかねます。
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それともうひとつ気づくのが本の厚さ。新版約21mmに対して旧版約15mmです。

どうしてこんなに違うのかというと、上に書いたように近代文藝社版には図案文字セットのページが追加されているというのもありますが、…
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前回も書いた通り、総て片面にしか刷られていないのに対し、弘文社版は表裏とも刷られているからなのです。

巻末の方の、恐らく輸入雑誌などから拾い集めたと思われるロゴの類いは、裏側が天地逆さまに刷られています。
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後発のがそうなっていないのは、やはりこれでは使い難かったからなのでしょうね。

戦争が終わった時には既に消えてしまっていたと思われる、素性の知れない近代文藝社と違って、実は弘文社は今でも存続している出版社です。同社の会社概要などによれば、書籍商「明文館」として大阪の平野町で明治37年に創業、同42年に松屋町に移って出版業に乗り出しています。この本が出された備後町の建物に移ったのは昭和元年、「美久仁文庫」という小説シリーズで人気を博したそうです。
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但し、今では資格取得対策本専門なのだそうです。かつてはこんなに洒落た本を出されていたのに…と思わなくもないですが…。
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洒落過ぎていて、言われないと「弘文社」とは読み取れない検印。

ところで前述の弘文社会社概要では、昭和5年に松屋町から順慶町に移転したのを機に「明文館」から「湯川弘文社」に社名を変えたように書かれていますが、上の写真でもお判りのように昭和2年には既に「弘文社」から出版しています。また、日本推理作家協会サイトに再録されている会報2007年2月号中の伊藤秀雄氏による連載記事「探偵小説史話(43)明文館『日本探偵叢書』について」によれば、昭和3〜4年ごろに「日本探偵叢書」という推理小説シリーズを、ついで「日本探偵小説」という叢書を同7年ごろ以降に「明文館」から刊行していたとあります(国立国会図書館近代デジタルライブラリーで公開されている「日本探偵叢書」の奥付を見ると、いずれも「湯川明文館」名義になっています)から、恐らくは昭和に入って暫くの間、創業者・湯川松次郎氏は実際には2つの会社を併行して経営されていたのではないかと想像しています。

また前掲の奥付からは、弘文社が昭和初期に東京の御徒町にも社屋を構えていたことも読み取れるのですが、そのような販路の広い、しかも人気シリーズを続々と出している版元から、十時氏が何故他の(マイナーそうな、しかももしかすると著者名の文字を間違えて出してしまうような)ところに版権を移したのか、というのは不思議に思えます。そこで思い当たるのが、旧版でページの両面に刷られていた図案が、新版では総て片面刷りに変えられているということです。

これは多分、「『その儘使へる』と謳いながら、そのまま切り抜いて使えないじゃないか」という声が少なからず寄せられたからなのではないかしらん…実際、昭和初期には頓に数多く出ているこの手の図案集の中には、ページの一部が鋏で切り取られてなくなっているものも時々見かけますから。

図案家にしてみれば、使ってくださる方々のより勝手のよいような形にしたいとお考えになることは充分あり得ると思いますが、もし版元側が「そんな、鋏で切り刻むのを前提とするような本はウチでは出したくない!」と頑強に主張したりなさって折り合いがつかなければ、著者側がご自身の意向通りに拵えてくれる出版社を捜し始めるかも知れないな、と勝手な想像をめぐらせているのです。

ともあれ、近代文藝社から新たに刊行された増補版は、かなりの好評をもって世間に迎えられたのではないかと思います。そして、奥付にこそ何故か反映されてはいませんが、何度か版を重ね、その度に表紙や箔押しの色を取っ換え引っ換えして売れ行きに拍車をかけていたのではないかと。

ところで、前回の記事から1年近くも引っ張った甲斐あって(?)、実はその後近代文藝社版のまた別の柄のを見つけたのです。
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…ここまで違うと、もう全く別の本に見えますね。

でも、奥付は例によってまるっきりおんなじです。
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但しこのヴァージョンだけは、なかなか可愛らしい意匠の検印紙が貼り付けられています。
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ミシン目と絵柄とがずれてしまっているのが残念。

表紙は柄だけでなく、手触りも違うのです。他のは堅いヴィニルレザーですが、これはピーチスキンのようなもこもこした感触。
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本の厚さも1mmほど厚いです。この凝り具合からして、多分最も後に造られたものではないかしらん。

試しに書名でググってみたら、『圖案文字大觀』で知られる矢島周一氏のお身内が載せておられる「商業美術の今昔」サイトこれと同じ表紙のものが取り上げられていますね。外箱はどうやら他のヴァージョンのと同じみたいです。

それから、装幀家の大貫伸樹氏弘文社版の黄色い表紙のものをご架蔵のご様子。刊年しか言及されていないので発行日もこちらのものと一緒なのかは判りませんが、でもやはり増刷版かどうかなどは奥付に書かれていない模様。そういうのは、当時の大阪ではあんまり気にされなかったのでしょうか…例えば東京の「創作圖案刊行會」の本などにはびっしり書いてあるのですが、ね。
posted by くろねこ at 17:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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